JB Pressに掲載されました 日本語じゃダメなの?流行りの横文字ビジネス用語すぐ連呼する人が陥る罠 2022/04/22
日本語じゃダメなの?流行りの横文字ビジネス用語すぐ連呼する人が陥る罠
「分かった風」のまま使ってみても、行き着く先は「現状維持」のくたびれ儲け
2022.4.21(木)
岡村 進
ーー
いま流行っている「パーパス」という言葉をご存知だろうか?
世界的には10年以上前から企業や経営の「存在意義」を問う際に使われていたようだが、SDGsが社会的認知度を高め、それを経営目的に据える企業が増大するにつれて、より頻繁に見聞きするようになった。ここ何年かは、人財育成の世界にも展開しつつあるように思う。
へそ曲がりの筆者はそういう流行り言葉を聞くと、体内の警戒信号が鳴り響く。流行り言葉に踊らされる人ほど、迷走することを筆者は経験則上知っているからだ。
●流行りのビジネス用語に意味はあるか?
なぜ日本語の「目的」ではいけないのか? 英語で新たな思いを吹き込みたいということなのだろうが、それでは「パーパス」に込められた思いや真意を深く考えている人がどれだけいるのか。
私には、日本人には語感の乏しい英語を使うことで、みなが分かったような気にさせるだけで、むしろ曖昧な認識を深掘りせずに放置することを助長しているように思える。だから、とっても危険なのだ。
そもそも企業の存在「目的」についていえば、ミッション(使命)やビジョン(期限付き目標)などの言葉が元々存在していた。何のためにわが社は存在するのか? いつまでに何をやるのか? ミッションやビジョンは、長期持続的に成長し続ける企業なら、だれもが大切にしてきた経営の原点だろう。
「パーパス」には、サステイナビリティへの思いを込めているのだと書いている方もいるが、それならば真の一流企業がとうの昔に考えていることだ。いまになってパーパスと連呼するのを見ると、「企業の当然の使命を考えずにさぼってきたのか?」といぶかしく感じてしまう。
元々使ってきた「ミッション」を今度こそ皆の思いのこもった言葉に置き換えればいいだけではないか。流行り言葉が出てくるたびに資料を作らせるのでは、若手があまりに可哀そうだ。
●コンプライアンス意識が流行り言葉の源流?
同じように違和感を持つ流行り言葉に「1on1ミーティング」がある。外資社長の時代に「Let’s have 1on1 meeting!(ちょっと個別に話をしよう)」とよく言っていたので、人事部の友人の口から、別のニュアンスとともにこの言葉を最初に聞いたときに、何を意味するのか分からず正直きょとんとしてしまった。
「どういう思いを込めているのか?」と会う人ごとに質問するようにしているのだが、相手によって答えは異なる。押しなべて言えば、どうやら上司が部下一人ひとりと向き合う姿勢や習慣が減ってきたので、しっかり部下と向き合い話をさせたいということらしい。しかし、それとて、「上司が一方的に仕事の話をするのではなく、部下が自主的にテーマを選び相談するボトムアップのプロセスが大事なのだ」という人もいれば、「私的な領域も含めて話を聞くことを大事にしている」という人もいる。
若手と話すと純粋に喜んでいる人も少なからずいるので、それが促進されるのであれば良かったのかなとも思う。ただ、回を重ねるとネタがなくなる、なぜ私的な事柄を話す必要があるのか、キャリア相談しても答えの歯切れが悪く参考にならない等というコメントも耳にする。
そもそもなぜ部下との「個人対話」が減ってしまったのか?
これまたカタカナ言葉である「コンプライアンス」の行き過ぎた適用により、上司が部下との対話を恐れてしまったからではなかったか。その部下とのコミュニケーション不足の弊害に気付いたので今度は1on1ミーティングのススメか?
元をただせばコンプライアンスに怯え本音の対話や意見交換の勘所を失った上司に、部下と向き合う姿勢やスキルが備わっているのだろうか。まずはその不安を取り除いてあげることが先ではないのか。恐る恐る私的な話に展開したら、むしろリスクが高まるだけではないか、と懸念はどんどん高まっていく。
一方で、最近は、そんなコンプライアンスの行き過ぎ批判に勢いを得たのか、「かつてのように、もっと部下に言いたいことを言うのだ!」という上司の声も耳にするようになってきた。そんな短絡的な話では、また部下を不幸せにするだけだろう。
結局、流行り言葉には寿命があることを思い知らされる。
●誰も考えたことがない「ハラスメント」の真意
流行語に踊らされる会社は、右往左往した挙句、最後は元の場所に戻ることになる。社内で関わる人財に心の傷を残していく分、事態を悪化させているのかもしれない。
我々は海外発の言葉の遊びにいいようにやられてきた。そろそろ、自分たちの言葉で、自社にふさわしい、あるべき方向性を論じるべきではないか。進化をもたらす意義深い努力の鍵は、それぞれの人が流行り言葉の英語に日本語の意訳をつけることから始まる。
例えば「ハラスメント」にみなさんはいかなる意訳をつけるか?
私は若手時代にハラスメント上司に仕え、悲惨な経験をしたので、ハラスメントは絶対撲滅派だ。ただ、そもそもハラスメントとは、そんな人格の壊れた人が行う特別な失敗だけをさすのか? 応えは「NO」だ。この言葉の真意をもっと広く捉えるべきなのだ。
私は、“次世代マネジメント”の要件は、異なる価値観を持つ人財を見て、「他の人と違っていて魅力的」「その違いを活かしたら、他の人財と相乗効果を引き出せるな」と感じ、さらに個性を引き出す意識や力であると考える。要はマネジメントの肝とは「個性の尊重」なのだ。
翻って「ハラスメント」にいかなる意訳をつけるかといえば、「個性の軽視または否定」というのが私の定義だ。
分かりやすく言い換えれば、本人すら気づかぬ個性に光をあて引き出し輝かせるのがマネジメント、部下を管理しやすくするために個性をつぶすのがハラスメントなのだ。私たちはプロのマネジメントとして、個性を引き出すか、つぶすか、ギリギリの勝負をしているわけだ。
人の個性を軽視・否定してしまうミスを恐れて、安易に部下指導から逃げるのなら、マネジメント失格ではないか。徹底的に人を学び、言語化能力を磨き、個性を引き出す力を高め続けるのが、次世代にあるべきマネジメントの姿勢と確信する。つまりマネジメントとハラスメントは表裏一体の緊張関係にあると考えるのだ。
●言葉に向きあわないマネジメントが不幸の始まり
だから、私は、冗談をとばしたり、流行り言葉を軽妙に取り入れたりして、何となく部下に好かれている上司をムードメーカーと呼ぶことはあってもマネジメントとは決して言わない。
そんな上司には、「カタカナ言葉を用いることで本来の意味を深掘りすることをさぼっていませんか? 流行り言葉に浮かされていませんか?」と質問したい。
次世代に市場価値のつく人財に不可欠の能力は、みなが真意を腹に落としやすくするための「言語化力」だ。
例えばSDGsとは?
「会社の経営陣は全力で取り組んでいるが、他にもっと優先順位の高いことがあるのではないか?」と疑問に思う社員は多い。でも、世界の潮流を考えれば全社員が全力で取り組む重大なテーマなのだ。
それではSDGsにみなさんならいかなる意訳をつけるか?
私は「地球目線の三方良し」と訳す。そう考えると、日本人にもなじみがあり、やって当たり前のことに思えてくる。
ダイバーシティは私がもっとも崇高と考える概念だ。
「あなたならそのカタカナ言葉にいかなる日本語の意訳をつけるか?」。是非チーム内で話してほしい。何度かこんな意訳合戦を研修でも行ってきたが、次々と各自の考える真意が浮き彫りになって面白い。言語の奥深さを感じるのだ。
これだけで結構盛り上がりますよ、ということなのだ。この意訳についてはまたいつか記したい。
●言葉に現れる心の鎖
日本のマクロ経済環境は悪化しつつある。いま日本で起きている構造変革、旧来型権威の失墜は、多少の揺り戻しはありながらも、おそらく不可逆の流れとなるであろう。
その大局を掴んだら、旧弊を見て粗を探し批判していても時間の無駄で、いかに変化を活かすかに100%集中した方が得だ。かつて定まらない気持ちで大金を稼ぎ、いまは少しのお金を稼ぐことに喜びを見出している自分が、次世代成功(したと自分で思える)人財とは、「流行に惑わされず自分らしさを追求している」人財であると自信を持って語りたい。
その第一歩が、流行り言葉を唱えることで終わらせず、その言葉に自分らしい意訳をつけることなのだ。
それではあなたにとって自分らしさとは何か? 弊社顧問は「Tea or Coffeeと聞かれたぐらいで周りの顔色をうかがうな」という。確かに身近な小さなところから、自分の好みを伝え始めるだけで、段々自分の嗜好やこだわりが見えてくるものだ。
押し殺してきた自分を掘り起こし、自由にしてあげられる時代になった。自分を縛っていたのは、多くの場合、他者ではなく自身だったのかもしれない。
2022年という年を、多くの日本人にとっての「自己解放元年」としてもらいたい!
「分かった風」のまま使ってみても、行き着く先は「現状維持」のくたびれ儲け
2022.4.21(木)
岡村 進
ーー
いま流行っている「パーパス」という言葉をご存知だろうか?
世界的には10年以上前から企業や経営の「存在意義」を問う際に使われていたようだが、SDGsが社会的認知度を高め、それを経営目的に据える企業が増大するにつれて、より頻繁に見聞きするようになった。ここ何年かは、人財育成の世界にも展開しつつあるように思う。
へそ曲がりの筆者はそういう流行り言葉を聞くと、体内の警戒信号が鳴り響く。流行り言葉に踊らされる人ほど、迷走することを筆者は経験則上知っているからだ。
●流行りのビジネス用語に意味はあるか?
なぜ日本語の「目的」ではいけないのか? 英語で新たな思いを吹き込みたいということなのだろうが、それでは「パーパス」に込められた思いや真意を深く考えている人がどれだけいるのか。
私には、日本人には語感の乏しい英語を使うことで、みなが分かったような気にさせるだけで、むしろ曖昧な認識を深掘りせずに放置することを助長しているように思える。だから、とっても危険なのだ。
そもそも企業の存在「目的」についていえば、ミッション(使命)やビジョン(期限付き目標)などの言葉が元々存在していた。何のためにわが社は存在するのか? いつまでに何をやるのか? ミッションやビジョンは、長期持続的に成長し続ける企業なら、だれもが大切にしてきた経営の原点だろう。
「パーパス」には、サステイナビリティへの思いを込めているのだと書いている方もいるが、それならば真の一流企業がとうの昔に考えていることだ。いまになってパーパスと連呼するのを見ると、「企業の当然の使命を考えずにさぼってきたのか?」といぶかしく感じてしまう。
元々使ってきた「ミッション」を今度こそ皆の思いのこもった言葉に置き換えればいいだけではないか。流行り言葉が出てくるたびに資料を作らせるのでは、若手があまりに可哀そうだ。
●コンプライアンス意識が流行り言葉の源流?
同じように違和感を持つ流行り言葉に「1on1ミーティング」がある。外資社長の時代に「Let’s have 1on1 meeting!(ちょっと個別に話をしよう)」とよく言っていたので、人事部の友人の口から、別のニュアンスとともにこの言葉を最初に聞いたときに、何を意味するのか分からず正直きょとんとしてしまった。
「どういう思いを込めているのか?」と会う人ごとに質問するようにしているのだが、相手によって答えは異なる。押しなべて言えば、どうやら上司が部下一人ひとりと向き合う姿勢や習慣が減ってきたので、しっかり部下と向き合い話をさせたいということらしい。しかし、それとて、「上司が一方的に仕事の話をするのではなく、部下が自主的にテーマを選び相談するボトムアップのプロセスが大事なのだ」という人もいれば、「私的な領域も含めて話を聞くことを大事にしている」という人もいる。
若手と話すと純粋に喜んでいる人も少なからずいるので、それが促進されるのであれば良かったのかなとも思う。ただ、回を重ねるとネタがなくなる、なぜ私的な事柄を話す必要があるのか、キャリア相談しても答えの歯切れが悪く参考にならない等というコメントも耳にする。
そもそもなぜ部下との「個人対話」が減ってしまったのか?
これまたカタカナ言葉である「コンプライアンス」の行き過ぎた適用により、上司が部下との対話を恐れてしまったからではなかったか。その部下とのコミュニケーション不足の弊害に気付いたので今度は1on1ミーティングのススメか?
元をただせばコンプライアンスに怯え本音の対話や意見交換の勘所を失った上司に、部下と向き合う姿勢やスキルが備わっているのだろうか。まずはその不安を取り除いてあげることが先ではないのか。恐る恐る私的な話に展開したら、むしろリスクが高まるだけではないか、と懸念はどんどん高まっていく。
一方で、最近は、そんなコンプライアンスの行き過ぎ批判に勢いを得たのか、「かつてのように、もっと部下に言いたいことを言うのだ!」という上司の声も耳にするようになってきた。そんな短絡的な話では、また部下を不幸せにするだけだろう。
結局、流行り言葉には寿命があることを思い知らされる。
●誰も考えたことがない「ハラスメント」の真意
流行語に踊らされる会社は、右往左往した挙句、最後は元の場所に戻ることになる。社内で関わる人財に心の傷を残していく分、事態を悪化させているのかもしれない。
我々は海外発の言葉の遊びにいいようにやられてきた。そろそろ、自分たちの言葉で、自社にふさわしい、あるべき方向性を論じるべきではないか。進化をもたらす意義深い努力の鍵は、それぞれの人が流行り言葉の英語に日本語の意訳をつけることから始まる。
例えば「ハラスメント」にみなさんはいかなる意訳をつけるか?
私は若手時代にハラスメント上司に仕え、悲惨な経験をしたので、ハラスメントは絶対撲滅派だ。ただ、そもそもハラスメントとは、そんな人格の壊れた人が行う特別な失敗だけをさすのか? 応えは「NO」だ。この言葉の真意をもっと広く捉えるべきなのだ。
私は、“次世代マネジメント”の要件は、異なる価値観を持つ人財を見て、「他の人と違っていて魅力的」「その違いを活かしたら、他の人財と相乗効果を引き出せるな」と感じ、さらに個性を引き出す意識や力であると考える。要はマネジメントの肝とは「個性の尊重」なのだ。
翻って「ハラスメント」にいかなる意訳をつけるかといえば、「個性の軽視または否定」というのが私の定義だ。
分かりやすく言い換えれば、本人すら気づかぬ個性に光をあて引き出し輝かせるのがマネジメント、部下を管理しやすくするために個性をつぶすのがハラスメントなのだ。私たちはプロのマネジメントとして、個性を引き出すか、つぶすか、ギリギリの勝負をしているわけだ。
人の個性を軽視・否定してしまうミスを恐れて、安易に部下指導から逃げるのなら、マネジメント失格ではないか。徹底的に人を学び、言語化能力を磨き、個性を引き出す力を高め続けるのが、次世代にあるべきマネジメントの姿勢と確信する。つまりマネジメントとハラスメントは表裏一体の緊張関係にあると考えるのだ。
●言葉に向きあわないマネジメントが不幸の始まり
だから、私は、冗談をとばしたり、流行り言葉を軽妙に取り入れたりして、何となく部下に好かれている上司をムードメーカーと呼ぶことはあってもマネジメントとは決して言わない。
そんな上司には、「カタカナ言葉を用いることで本来の意味を深掘りすることをさぼっていませんか? 流行り言葉に浮かされていませんか?」と質問したい。
次世代に市場価値のつく人財に不可欠の能力は、みなが真意を腹に落としやすくするための「言語化力」だ。
例えばSDGsとは?
「会社の経営陣は全力で取り組んでいるが、他にもっと優先順位の高いことがあるのではないか?」と疑問に思う社員は多い。でも、世界の潮流を考えれば全社員が全力で取り組む重大なテーマなのだ。
それではSDGsにみなさんならいかなる意訳をつけるか?
私は「地球目線の三方良し」と訳す。そう考えると、日本人にもなじみがあり、やって当たり前のことに思えてくる。
ダイバーシティは私がもっとも崇高と考える概念だ。
「あなたならそのカタカナ言葉にいかなる日本語の意訳をつけるか?」。是非チーム内で話してほしい。何度かこんな意訳合戦を研修でも行ってきたが、次々と各自の考える真意が浮き彫りになって面白い。言語の奥深さを感じるのだ。
これだけで結構盛り上がりますよ、ということなのだ。この意訳についてはまたいつか記したい。
●言葉に現れる心の鎖
日本のマクロ経済環境は悪化しつつある。いま日本で起きている構造変革、旧来型権威の失墜は、多少の揺り戻しはありながらも、おそらく不可逆の流れとなるであろう。
その大局を掴んだら、旧弊を見て粗を探し批判していても時間の無駄で、いかに変化を活かすかに100%集中した方が得だ。かつて定まらない気持ちで大金を稼ぎ、いまは少しのお金を稼ぐことに喜びを見出している自分が、次世代成功(したと自分で思える)人財とは、「流行に惑わされず自分らしさを追求している」人財であると自信を持って語りたい。
その第一歩が、流行り言葉を唱えることで終わらせず、その言葉に自分らしい意訳をつけることなのだ。
それではあなたにとって自分らしさとは何か? 弊社顧問は「Tea or Coffeeと聞かれたぐらいで周りの顔色をうかがうな」という。確かに身近な小さなところから、自分の好みを伝え始めるだけで、段々自分の嗜好やこだわりが見えてくるものだ。
押し殺してきた自分を掘り起こし、自由にしてあげられる時代になった。自分を縛っていたのは、多くの場合、他者ではなく自身だったのかもしれない。
2022年という年を、多くの日本人にとっての「自己解放元年」としてもらいたい!