インフォメーション

JB Pressに掲載されました  「伝える力」が急伸する、人と話すとき絶対やるべき「ある習慣」

「伝える力」が急伸する、人と話すとき絶対やるべき「ある習慣」
クリントン大統領に学んだ、言葉を伝えるための基本動作
2021.9.11(土)
岡村 進

ーーー
「人前で話すのは得意ですか?」

この質問を、日本人に投げかけると、多くはうつむき加減になるか、苦笑いをしながら目をそらす。プレゼンテーションは日本人共通の不得意科目だろう。

話が下手だと人生でずいぶん損をする。話下手だった私の実感だ。懸命に準備して、おそらくとても良いことを話しているはずなのに、聴衆のつまらなそうな顔を見て、へこんだ経験は枚挙にいとまがない。話は上手なほうが得だと、分かっていながら、端から「自分には無理」とあきらめていた。

加えて私は、とんでもないあがり症で、外資系企業の社長になったときに、「話がつまらないので、プレゼンテーションの先生について勉強してほしい」と部下に直訴されたほどだ。私が自他ともに認める「ゆるキャラ」のせいだが、それを割り引いてもグローバルビジネスの現場は役職が上にあがっても甘えが許されない厳しさがある。50歳目前になって、しかも社長にまでなったのに、半ば強制的に猛勉強を強いられる羽目に陥った。

●ビル・クリントンの感動スピーチ

そんな私には生涯決して忘れられない感動のスピーチがある。

1998年11月20日、ビル・クリントン米国大統領来日時のパーティーでのことだ。当時機関投資家として巨額のドル円を売買していた縁で、在日米国商工会議所メンバー300名弱の米国人に交じって、数名の日本人として参加する幸運に恵まれた。

クリントン大統領は途中から参加予定だった。結婚式場のような席の配置で、前半は翌年に財務長官になるサマーズ氏など数名の大物が壇上に登って、参加者から世界経済や日本のビジネス環境などについての質疑が行われた。

ビジネス界からの参加者が高官たちにカジュアルに質問を投げかける、時には詰問する様子を見て、フラットな関係で本音の意見交換をできる関係にあこがれたものだ。

そうこうしているうちに、館内放送が流れ、「大統領がいま滞在先のホテルを出発しました」とアナウンスがあった。驚いたのは、カジュアルに話していた300名強が一斉に立ち上がったことだ。

〈おいおい、まだホテルを出たというだけで到着まで何分かかるかわからないじゃないか!〉と思いながらも、大統領(というポジション)に対する敬意の表し方にも感激した。実際に到着まで15分ほどかかっただろうか、その間ずっと全員が立ちっぱなしのまま議論を続けたのだ。

●圧倒される聴衆
圧巻だったのは大統領が到着し、ついに始まったスピーチの第一声だ。

「初めにお断わりしなければならない。私は皆さん米国人の利益を代表するために日本に来たのではない。日本と米国、それぞれの立場を尊重し、長期的に関係を発展させるための議論を行いに来たのだ」

大統領は、こうぴしゃりと言い放ったのだ。

もちろん日本人の目も意識して練り上げた発言だろうが、それでもやはり聴衆に安易に迎合しない姿勢はとんでもなく格好よかった。

「いつの時代も問題は多い。孫たちの時代になっても、“あー、何てひどい時代に生きているんだ”と愚痴をいっていることだろう。でも、みなさん! 孫たちには、“それでも祖父母の時代よりはずっとましになったね”と言わせたいじゃないか。そのために異国の地で頑張っている皆さんに敬意を表する」と話を締めくくった。

語りによどみがなく、内容は極めて簡潔。スピードは緩急織り交ぜて。要所で声に張りが加わる。全体を見渡しながら、聴衆に“皆さんもそう思わないか?”と問いかけ仲間に引き込んでいく。まさに人の心を動かし揺さぶるプロフェッショナル。何よりも、聴衆への敬意より先に、おもねらない姿勢を打ち出した。この順番が肝だったのではないか。

当時、大統領は女性スキャンダルの渦中にあったが、彼はきっと失脚しないだろうと何とはなく思わされたものだ。

さらに、スピーチ終了と同時に大統領の好きなジャズ音楽がバーンとかかって、大統領がステージから駆け下りてきて全員と握手する姿はとても映えていた。自分も握手されたときの感覚を忘れられず、すっかりファンになってしまったのだが、いったいなぜそこまで夢中になったのかしばらくわからなかった。

●忘れがたき、ビルの目力

10年ほどして週刊誌にヒラリーとビルの違いとしてその真相が究明されていた。ヒラリーは人と握手している時も、周りにもっと偉い人がいないか目で追っている。ビルは、握手を終えて次の人に移る最後の瞬間まで直前の人とアイコンタクトを外さない。そう書かれていた。あー、これだ!

確かにあのときのビル・クリントン大統領の目線は私の意識に鮮明に残っている。それからその点に意識して周囲を見てみると、日本の政財界の人財のなかに少なからずヒラリー型の人がいることに気づいて面白く思った。

当時30代であった私も、今ではスピーチに込める政治的配慮などを理解できるような年齢になり、かようなスピーチに素直に感激するだけではなくなった。しかし、自分でも驚くのは、どれだけ正確な記憶かは別としても、熱く語られた米国流の公正さという大義が、20数年たった今も脳裏に焼きついていることだ。

米国シンパを作るにはきわめて効果的な語り口だった。そして、人を動かすというのはこういうことではないのだろうか、と心に沁みた。

●もったいない! 密室に逃げこんで見せ場を避けてしまう日本人

先日、橋下徹元大阪市長が、「菅首相は大事な決断を行うときに限って密室で処理してしまうのがもったいない」といった趣旨の発言をしていた。

オープンな議論の大事さは何も政治に限ったことではない。ビジネスの世界でも同じだ。グローバル企業のリーダーが腹を括って決断する時には、オープンに議論させて、賛否両論出尽くしたところで、自分がさっそうと登場し、裁断をくだすのが常套手段だ。

日本のリーダーの多くは、その最大の見せ場をなぜ避けてしまうのか。

相手に思いを伝え切る自信がないのではないか? 自分のプレゼンの力に自信がないことが背景にあるのだろう。

政治家も、ビジネス界もリーダーの置かれている環境は過酷だ。周りには想像のつかないプレッシャーにさらされている。そんな重責を担っているからこそ、折角の努力と決断と覚悟が伝わらないのが・・・実にもったいない。まさに「もったいない」の言葉に尽きるのだ。

次回は、ビル・クリントンの演説に感動したあがり症の私が、どのように演説力を磨いていったか、その詳細を赤裸々に明かしたい。