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JB Pressに掲載されました  部下の叱り方「上手いか下手か」は業績と人財育成に関わる大問題

部下の叱り方「上手いか下手か」は業績と人財育成に関わる大問題
熱血指導は悪じゃない、「パワハラにならない叱り方」を学ぶべし
2021.6.9(水)
岡村 進

誰しも年齢を重ねてくると、「若い世代の役に立ちたい」と思うものだ。そのためには「若手に何か有益なアドバイスをしてあげなければ」という気持ちが自然と高まってくる。

だから、部下思いの上司ほど、気持ちを込めて部下を叱る。

ただ、思いが強すぎると、ついつい厳しい言葉を並べてしまうことになる。

たとえば、中途半端な準備で顧客に接している姿を見れば、「真剣に向き合うことが信用を得るためにいかに大切か!」と熱弁を奮う。安易に物事を質問してきたら、「まずは自分で調べてから聞きに来い!」と一喝したりする。

部下からみれば理不尽な叱り方かも知れない。だが上司のほうは、「なかなか思い通りにならない世の中で生き抜く術と忍耐を教えたい」との愛情をこめているつもりなのだ。

このように上司が部下を「熱血指導」すると、両者の軋轢が高まることがある。ところが、最近はそんな上司と部下の緊張感のあるやりとりがすっかり影をひそめてしまったように思う。これは果たして部下や組織によってよいことなのだろうか。

●誰からも叱られない社会

上司は愛情をこめた指導のつもりでも、それをどう感じるかは「部下次第」である。もしハラスメント通報でもされたら、長年頑張ってきた上司のサラリーマン人生も「一発アウト」になりかねない。昨今の経営陣は、真相を探るよりも火消しのために「とりあえず」上司を左遷させるようになっている。いったん出世街道を横にそれた人が、元のコースに戻ることは少ないのが日本企業だ。叱る側のリスクは、近年ますます大きくなる一方だ。だから、胸の内では「あいつにこう指摘してあげたいのに」と思っていても、言葉を飲み込んだままにしている上司も多いはずだ。

一方、そんな器用な真似が出来ない上司の中には、部下への思いが強すぎて、ついつい言い過ぎてしまう人もいる。そして案の定、部下との間でトラブルになってしまったりする。

だが私は思うのだ。そんなときに、経営側がもう少し守ってやれないものかと。さもないと部下に対して誰も厳しいことを言えなくなる。私は傍で見ていてこんな心配を募らせている。

上司が部下を厳しく指導しなくなれば、人財の成長は止まり、企業力も国力も停滞する。これは、すでにいまの日本で起きている事象ではないだろうか。経営の奮起と人財育成に対するコミットメント強化を期待したいところだが、昨今のメディアの一部を切り取った報道姿勢を見ていると、「疑わしきは罰する」のが、リスク管理上やむなしということなのか。

経営、社員、世間が互いににらみ合いながら縮小均衡する罠にはまっているように感じてしまう。

●パワハラと指導の分岐点

上司には上司の、部下には部下の言い分がある。ましてやコロナ禍で、オンラインによる打ち合わせが増加してきたから、ますます互いの距離感の測り方が難しくなってきた。意味ある叱りとハラスメント、この線引きを我々はもう一度考え直してみる必要があるのではないか。

私も、かつて激しいパワハラ被害を経験した一人だ。夜中の2時まで働かないと終わらない課題を与えられ、翌朝8時から報告しないと怒鳴られる日々だった。後輩たちは何名もメンタルヘルスの問題を抱えた。いまなら間違いなくアウトだが、当時はそんな上司もなぜか許される時代だった。以来、私のビジネスにおける優先順位は明確だ。一番が心身の健康、二番が仕事。心身の健康を壊してまで、やらねばならない仕事などこの世に存在しないと今も考えている。

一方で、現在の私の弱点は「ここは叱りどころだ!」と思っても叱れないことだ。かつてのパワハラ上司のトラウマが残っているのだろう。本当は、ここは少し大きめの声で怒る(ふりをする)ことが大事なのにと分かっていながら、理路整然と行動のおかしさを説明してしまうのだ。迫力不足で、相手には私の真意が響いていないだろう。

それでも、怒られる機会が減り、ビジネスや人間関係の根底に深く思考を巡らすまでもなくやり過ごせてしまう若手は、これから大変に目に合うのではないかと心配でならない。

組織内で立場が上がっていくと、きっといつかは上司と部下との間で板挟みとなり、逃げらない矛盾の渦中に放り込まれる。また、時には社内の政治的な抗争に巻き込まれ、自分が仕事で本当に大切にすべきことは何か考えこまざるを得なくなるだろう。

若いうちに、“理不尽(と感じられること)”としっかり向き合い、自分なりの軸を作り、真の強さを身に着けさせてあげたい。私も若手時代、上司から「十の批判より一の行動!」とよく言われ正直その時は不満だったが、いまなら上司の思いが実によく理解できる。

仕事は、何事かを実現したり、世の中のおかしさを少しでも直したりしてこそ意味がある。おかれた環境や与えられた仕事に対して、すぐに「理不尽だ!」と批判する癖をつけてしまうと、のちのち私が苦しむことになるのが当時の上司には分かっていたのだろう。「十の批判より一の行動」の戒めは、私にとっての宝となった。

●叱責の作法

では、上司の部下に対する効果的な叱り方とは何だろう。怒っても思いが通じて受け入れられる叱り方とは何かを考えてみよう。

・叱る側も成長し続ける

よく「俺はもう年だけれど、未来のある若手にはしっかり助言しておきたい・・・」などと口にする年配者がいるが、言葉が穏やかでも、これは十分に反発を買うパターンだ。

今は環境変化のスピードが速くなり、生涯学習し続けなければお荷物になる時代。自分を環境変化の横に置いたとたんに、どんな金言も輝きを失う。あなた自身が、既に若者から必要とされていない可能性さえあるのだ。

私がいつも年配のマネジメントに尋ねるのは、「何歳から人生を逆算して設計するか?」ということ。定年から逆算してその後を考えていない人は、早めに成長を止めがちだ。逆に80歳になる人でも進化し続けている人は、我がセミナーでも人気が高い。「何をいうか」、「いかに話すか」よりも、聞き手にとっては「誰が言うか」がとても大事なのだ。進化し続ける人の言葉には説得力があるからだ。

・言語化の訓練を自らに課す

部下を指導するには、何をどのような表現で話すのか、言葉を一つ一つ選び出す「言語化の訓練」が重要な意味を持つ。

私も人財育成の仕事に携わって8年が経過した。人に教えるために、いままでの知見を言語化することに大きなエネルギーを注いできた。言葉に直す過程で頭が整理され、その時の思い付きで指導することがなくなった。

生徒の皆さんに、部下や後輩に対して定期的に語る場を設ける重要性を繰り返し伝えているのは、自身の経験からくるものだ。感情に任せた怒りの多くは、「なぜ重要なのか?」をうまく言葉で表現できない苛立ちからくることが多いのだ。叱る前に、まずは自身の言語化の努力を促したい。

●叱る側も進化し続けるしかない

・偉くなっても偉くいられない環境を選択する

私は3つの会社での社長業が通算18年になるが、火を噴きかねないリスクの高い案件を自身が担当するよう意識している。また、なかなか手厳しい顧客に自ら会いに行くことも課している。お偉くなってしまった上司は、部下の心理状態を見誤り、叱るタイミングや言葉の選び方を間違えやすいのだ。

多くの場合、若手の時代は仕事に追われ、心に余裕がない。やることが多すぎて、テンパっていたり、顧客や取引先に怒られて気持ちが沈み込んでいたり。そんな時には、どんなに良い指導を受けても、頭に入ってこないものだ。ましてや激しい口調で言われると猛烈な反発と共に上司への不信感が急速に高まるだけだ。

・叱りたい部下に質問を続け、ひとつでも褒めるポイントを見つける

何かトラブルが生じたからと言って、担当者が常に100%悪いということは珍しい。全員がものすごく忙しくする中、あえて自分の守備範囲外の「三遊間業務」を拾いに行った結果、チェックが甘くなることもあろう。必死に防止やリカバリーの努力をしたのが逆に裏目にでたりすることは必ずある。だから、まずはなぜそのトラブルが起きたのか、思いこみを一切排除してとことん聞いてみることだ。その過程で、ひとつでも本人の前向きな姿勢を見つけられると良い。厳しく叱る分だけ、良き姿勢を褒めてあげれば、受け手の心の痛みは少しだけ緩和する。指導を咀嚼する余裕が多少なりとも生まれてくるのだ。

今一度、組織において叱ることの意味を問い直し、なぜ叱るとハラスメントに転じてしまうかについて、是非一度議論して欲しいと切に願う。

私が最も大切だと思うのは、自分自身が常に進化を求め、部下から「なぜあなたはそんなに努力を続けられるのか」と一目置かれることだ。そうすれば、部下はあなたの叱責に対しても素直に耳を傾けてくるだろう。