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JB Pressに掲載されました 「恥かいて質問する」こと嫌う日本人、実はこんなに損しています

「恥かいて質問する」こと嫌う日本人、実はこんなに損しています
海外のビジネスエリートがやたらに質問するのには理由があった
2021.5.13(木)
岡村 進

キャリアの半分以上を海外や外資系で過ごし、グローバル・エグゼクティブと仕事をしてきた私が、彼らから学んだ最も重要なことは「恥を捨てて質問する力」だった。

●米国名門大学院で学んだ「質問と恥の関係」

それは日本の大手生保に勤めていた30代のころ、エグゼテクィブ用のMBAコースに通わせていただいたときだった。初回の講義で同級生が、ホワイトボードに記された「23」の数字を見て「その小さな3は何だ?」と質問したのだ。そこは米国の代表的な大学院のMBAだから、彼の質問は衝撃的だった。

そこにいる生徒の誰もがこう思ったことだろう。

「23=2×2×2、2の三乗でしょうが!!」

教授の表情に、一瞬、戸惑いと憐みが浮かんだように感じた。しかし、彼は胸を張って、「そういうことか。数学は苦手だからさぁ」と言い放ったのだ。

内にこもりがちな私は、そのやりとりを20数年経った今も鮮明に覚えている。人目を気にせず、聞きたいことを聞けるって本当に素晴らしいと深く感動したからだ。

●我慢の末に無策になる日本
今回のコロナ対応を見ていると、日本人はつくづく忍耐が強いなぁと感嘆する。

さして強制力のない宣言が出るだけで、さっと自粛する。自分のせいで人の健康を害したくないと他人への気遣いを忘れない。もちろん我慢できなくなって、密を作ってしまう人もいるが、どこかで罪悪感を抱いているはずだ。

しかし、それとは裏腹にコロナ対策は遅れている。欧米の先進国でワクチン接種が進む中、我が国はいまだ2%にとどまっている。韓国や中国に比べても死者の数が突出しているのが我が国である。

日本は先進国ではなかったのか。マスクを軽視しコロナの蔓延を招き、あれだけドン底に落ちたはずの米国は経済成長6.4%にまで回復し、マスクなしでレストランでの会食も復活しつつあるという。我慢できない国民が、うろたえ大騒ぎしながらも、結果的に物事を解決していく。一方で、静かに自律的行動をとってきた我々日本人が、いまだ命の危険にさらされている。この矛盾はなぜ起こっているのだろうか。

●協調性と独創性のアンバランス

少し思い当たる節がある。大企業の経営陣が、昨今こぞって「事業構想力の高い人財が不足している」と言い始めた。「環境変化に合わせて変革を成し遂げられる人財が欲しい」という。

その質問は、私の胸をザワつかせる。

そもそも、あなたたちは、過去、社員にユニークな発想を求めてきましたっけ? むしろ出る杭は打たれるで、協調性の高い人財を優先的に採用してきましたよね?

入社後も、我慢強く課題と向き合い、改善できる人財こそ評価してきたはずだ。何かを変えようとすれば角が立ち、協調性が乱れる。日本の経営が自らも、社員にも、長らく許さなかった物事を変えようとする行動。それをいまさら「人財がいない」と嘆かれても、腑に落ちるはずもない。

かくいう私も、入社して長らく、最も保守的なサラリーマンだった。斬新なことを言って周りを驚かせることなどは皆無。常に、人目を意識して、嫌われないように気を揉み、賢く見えるように言葉を選んでいた。協調性は磨かれるが、独創性は失われる。というより私自身は、何かユニークなものを生み出す意識などハナから持ち合わせていなかった。


そんな私が、なぜ40代半ばで外資に転職、50代になってから起業という、独創性なくして生き残れない人生を歩むようになったのか。

それは、きっと質問の大切さを学んだからだ。

●恥を捨てた瞬間に急成長が始まった

それは20数年前、ニューヨークの米国金融機関に出向させられた直後に、郊外のセミナーハウスに一週間ぶち込まれたときのことだ。米国人30人に、日本人が私一人。朝から晩まで講義とディスカッションが続くのだが、英語のやりとりの3割も理解できなかった。椅子に座っているだけで、胃が痛くなる。それなのに、講師はすぐ私に「わからないことがあったら何でも聞いてくれていいんだよ」と語りかけてくる。

「そんなことできるか!」

日本人にとって質問とは、相手の伝えたい内容や真意をしっかり理解した上で、さらに聞きたいことを聞くのが礼儀なのだ。自信がないから、少しでも自分を賢く見せることに必死になっている私には、気軽な質問など無理な注文だった。

そんな自分が恥を捨てて質問できるようになるには、それからさらに10年かかった。いまなら、「何が分からないかも、分からない。でもおっしゃることがどうも理解できない気がするんです」と自分の状態を直接口に出し、質問に結び付けていくこともできる。


何かきっかけがあったわけではない。もはや自分を取り繕うことに疲れてしまったのだ。人生が有限であることを感じ始めると、人からアホだと思われる怖さより、本当に何も知らない怖さのほうが大きくなっていった。もっと下世話に言えば、人目を気にして賢く振舞ってみても、結局他人にバレる、何の得にもならないことを遂に理解したのかもしれない。

「格好つけてどうする? 昨日の自分より賢くなれればいいじゃないか!」と心から思い実践できるようになってからは、ずいぶん楽に生きられるようになった。

●質問できるようになって芽生えた、相手の真意を汲み取ろうとする思考

いまだに少し緊張はするものの、質問できるようになってからは、人の話を聞く姿勢が劇的に変わっていった。かつては、話し手の一字一句に神経を研ぎ澄ませていた。質問する気もないから、何を言うか、内容だけにフォーカスして、ひたすらメモをとっていた。

今は違う。知りたいことがあるから質問するのだ。「この人は何でこんなことを言っているんだろう?」「この話を通じて我々にどうして欲しいんだろう?」と相手の話す真意を真剣に読みにいくようになったのだ。

どこかで思考のツボにはまり聞き落す部分がでてくるから、質問に対して「それはさっき説明したでしょ」なんて言われることもあるが、もうへっちゃらになった。知りたいことがあるから質問し、知りたいことを知れば、それが自らの言動に紐づいていく。

●「質問のプロ」の作法

グローバル企業に勤めて一番驚いたのは、エグゼクティブたちが実に自然に部下たちに質問をし続ける姿勢だった。

立場の高い地域ヘッドが「俺はアジアに来てまだ数年だ。あなたから聞きたいことはたくさんある」とひたすら質問する。時には世界のトップを招いても、彼もまた質問から始める。気が付くと日本人のエグゼクティブが一方的に話し続けていることも少なくなかった。

見識の高い世界的トップは、その知識を披歴するよりも、質問を重視する。彼らは「もっと変化の様子を知りたい」「知って経営に役立てたい」と極めて純粋なのだ。また、質問を通じた双方向のやりとりが、互いの理解を深める効果の大きさも分かっている。


質問する姿勢のもたらすパワーは日本人も同じだ。私の知り合いのIT企業経営者は、かつて大企業に勤め始めて数年後の20代半ばの頃、自分が意見を発信しても物事が変わらないことに業を煮やし、「なぜ自分の意見は採用されないのか?」と上司に質問したそうだ。

すると「企画提案はもう少し偉くなってからやれ」と言われてしまったらしい。普通ならここであきらめるところだが、彼はその足で人事部に向かい、「自分はどうしたらもっと偉くなれるのか?」と質問した。その答えに納得がいかなかったことが、独立のエネルギーに繋がったのだ。

●才能とは、「知りたい気持ち」を持ち続けること

イノベーションや変革の多くは、何か特別な才能を必要とするわけではなく、「知りたい!」「成長したい!」「進化したい!」という純粋な思いから生まれるもの。日本人の美徳である忍耐力が、我慢を促すことだけに紐づいてしまい、個々人の成長を阻害することになったら、あまりにもったいない。

忍耐の呪縛から自らを解放し、知りたい気持ちを高めていくカギは、質問する姿勢にあったのだ。

まずは疑問を正直に口にすれば、自らの思いを点検することができる。それがいつか自己実現へのコミットメントに繋がり、世の中に必要とされる人財に育っていくのだ。

たかが質問、されど質問。恥を捨てた人間の未来は明るい。