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JB Pressに掲載されました 「仕事できないおじさん」見下す若者を待ち受ける罠

「仕事できないおじさん」見下す若者を待ち受ける罠
反面教師にしているつもりで同じ行動パターンを踏んでいるかも
2021.4.22(木)
岡村 進

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ビジネススクールを営む私は、若手から中堅まで幅広い層に研修を行っているが、彼らの話にかなりの頻度で登場するのが“できないおじさん”だ。

ネット記事を見ても、若手のおじさん世代に対する怒りやディスりが氾濫している。

きっと実害を被って我慢ならないストレスが溜まっているのだろう。

だが、そんなおじさんをディスっているあなた自身、“できないおじさん”にならないと断言できるだろうか。

●“できないおじさん”が生まれたワケ

「手を動かさない」「新しいことを学ばない」「決められない」「文句ばかり言う」等々。若者の批判の舌鋒はどんどん鋭くなっている。しかし、おじさんたちはなぜこうもできないのだろうか。

もちろん、おじさんたちは初めからできなかったわけではない。

かつては世界から称賛された日本の経済成長、それを自分たちが支えているという自負があった。給与も毎年、着実に上がっていったので、誰もが「自分は評価されている」という自己肯定感を持つことができた。

なにしろ部長になったりすると、それなりの部屋が用意されたりしたので、「いずれ役員に」などと高望みはしなくても、出世にも夢が持てた。

希望にあふれ、昼間は仕事、夜はネットワーク作りに勤しむおじさんの若かりし頃の働き方は、形だけ見れば、私が後々グローバル企業で協働したエグゼクティブに近かった。

ところが、低成長時代に入ると部長になっても個室はなくなり、自由になる経費も大幅に減少。そもそも管理職ポスト自体も減ってしまった。

おじさんたちが夢見ていた偉くなる日は幻と消えた。ちょうどその年代になると、親の介護などプライベートな難問にもぶち当たる。こうして公私ともに気力をすり減らしていったのだ。「俺の人生もこんなもんか。まぁいいか」。そんなつぶやきが増えていった。

一方、仕事の実務面でも大きな転換期を迎えていた。低成長時代に入ると、組織の中の指示待ちよりも、個々の“自立”が求められるようになった。だが、おじさんたちはそうした時代の変化に意識が追い付かず、「自分で手を動かさず部下にやらせる」過去の因習を踏襲してしまったのが痛かった。資料をゼロから作るのと、人の作った資料に意見して直させるのとでは使う頭が全く異なる。環境変化に合わせて「0から1を編み出す能力」を鍛錬する機会を自ら放棄してしまった人が多かった。

こうして批判だけが上手な“できないおじさん”が完成してしまったのだ。

●自己変革でつまずいたおじさんたち

できないおじさん”も、世の中が徐々に変化し、自分も変革を迫られているのを薄々感じていたはずだ。しかし上手く順応できなかった。あるいは、易きに流れて社内政治に明け暮れた結果、外の人との付き合いが減り、新しい時代の変化を感じ取れなくなっていった。かつてバリバリ働いた時と同様に、徐々に勢いを失うことまで周囲と歩調を合わせてしまったのだ。

こう見てくると、できないおじさんの本質がよく分かる。それは、悪化する環境に立ち向かって自分の生き方や働く目的を考えるのではなく、その時々の時流に乗って組織に依存してしまうのだ。目的なき人生だから、あきらめも早くなってしまう。

●優秀で自立したように見える若者だが・・・

かたや今の若者は自立心が強い。

納得いかないと思えば、2~3年ですぐに辞める人もいる。会社にしがみつかず、転職を率先して考える人が多いのは、組織にしがみつくおじさんたちと同じ轍を踏みたくないからだろう。

どの会社に行っても通用するように、自分の腕を磨き、自身の市場価値を高めることに専心している。経済観念も優れている。どうせ豊かにはなれない時代だからと割り切って、若いうちから貯蓄して、堅実な人生を歩もうとしている。

勤める先も、これからの時代、手に職がつくと言われるIT業界や、景気の浮き沈みの影響を受けにくい食品や生活必需品など安定した業界などを真剣に考えている。

それぞれの事情があるにせよ、流行りの業界に入り、ハードルの低くなった転職を大いに活用し、変化を享受しているように見える。

しかし、私はそんな若者が心配でならない。

彼らはどこに向かって歩んでいこうとしているのか。今の若者は、“できないおじさん”と一体何が違うのか。

変化したかに見える彼らの本質は、実は漫然と社会の目先の風潮に流されてきたおじさんと同じではないのか?

そもそも全ての産業はシクリカル、すなわち景気循環や構造変革などにより絶え間なく盛衰を繰り返すものなのだ。うちの学校で講義している世界的エグゼクティブは、7~8年前から「GAFAもいずれ規制され勢いを失うときが必ず来る」と言い続けてきた。まさに昨今の規制強化を先読みしていたのだが、もしかして今の若者たちは時流に流されピークを迎えたITを高値掴みしてはいないだろうか。

●戦略的キャリア形成の思考法

会社に見切りをつける、その早さも気になって仕方がない。入社3年目はまだビジネス人生の幼少期、よちよち歩きを始めたばかりだ。

経験則上、業界スキルや人脈がどうにか整い、転職でステップアップできるようになるには最低でも6年、せめて10年が必要だ。3年程度でやめてしまったら、その企業でのキャリア自体がすべて無駄になってしまうから、もったいない!

少なくとも私は外資エグゼクティブとして採用面談するに際し、転職の多い人財には国籍を問わず強い警戒心を持った。2~3年の業務経験を熱く語られても、かなり割り引いて聞いたのが実情だ。

転職しようとする若者の多くが「友人もみんな辞めている」「組織がおかしいから」と口をそろえるが、それはあまり理由になっていない。なぜなら、社会も会社も人も、過去ずっと不完全であったし、おそらくこれからも不完全であり続けるからだ。少しでも完全を目指して自分が出来る貢献をするのが、組織で仕事をすることの意味なのだ。折角潜在能力やセンスが高いのに、仕事や業界の本質を理解せずして次の青い鳥を求めてしまった若手に高い市場価値を付けるのは難しい。

実際、知り合いのヘッドハンターも「転職の都度、組織と人財を知るのに3年かかる。この時間のロスを何度も繰り返すのは非効率だ」と警告する。

すでに終身雇用は崩れ始めているのに、日本では転職と向き合う姿勢はまったく定まっていない。私が外資や米国子会社の社長時代に、志願者に問うたのは「過去苦難を乗り越えて組織にいかなる成果をもたらしたか」「あなたはここで何を実現したいのか」だ。折角自己変革の意識の高い若手が、世の中の流れに身を任せてしまったら、目的なく漂流するできないおじさんと同じになってしまう。

●“できるおじさん”と“できないおじさん”の決定的な「差」

さて、今では忌み嫌われている“おじさん”の中にも、60代で再就職を迎えた際、色々な会社から声がかかっている人がいる。

現役時代には、納得いかない指示には従わず、かといって正面からぶつかることもせず、のらりくらり生きていた人も少なくない。主張をしないからあまり出世もせず、一つの企業に勤め続けてきたわけだ。

そんな彼らが、最後に他社から必要とされる人財となったのはなぜか。

ひとつは、昔の手柄話と若手は笑うかもしれないが、過去にとことん働き抜いた経験があることだ。自分の持てる力を100%引き出した経験と学びは貴重だ。また彼らは環境が悪化してからも、自分らしい何かにこだわり、歩みを止めなかった。顧客や取引先とは結構きっちり向き合い、必要な進化を遂げてきたのだ。

“できるおじさん”と“できないおじさん”の差は紙一重だ。

世の中の風潮に流され思考を停止するか? 自らの頭で考え、自分なりの目的に向かって進化を続けるか?

実はいまの若手も二分されているのではないか。できないおじさんの本質を見抜いて何かにこだわり進化に専心するものは、焦らずとも、社内でも社外でも必要とされ続けるであろう。一方で、形だけの変革を求めてしまった若手はいつか低い価値しかつかなくなるだろう。

過渡期の時代には戦略的キャリア開発が不可欠だ。自ら考え行動し、目的に向かって進化し続ける若者の未来は明るい。