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JB Pressに掲載されました 会社の福利厚生、デキる者ほど使い倒さない理由

会社の福利厚生、デキる者ほど使い倒さない理由
令和のビジネスマンが知っておくべき福利厚生の考え方
2021.1.17(日)
岡村 進

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既に失われた20年、30年が過ぎているのに、実は頭の中は以前バブル時代のままの年配者はいないだろうか。マクロ環境が圧倒的に悪化しているのに、少しでも贅沢な福利厚生にしがみつこうとする一部のエグゼクティブの生き方を見聞きすると、「シュール&シュリンクの人生でしかないではないか!」と感じてしまう。若いエグゼクティブには、そう感じている人も少なからずいるだろう。

肥大化した福利厚生は、バブル時代に積みあがったもので、それもまたバブルの化身。持続不可能なバブルを追っていて、幸せになれるものなどいるはずもないし、社会にだってお荷物扱いされかねない。

もう時代はすっかり変わったのではないかと思うのだ。
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●バブル時代の「勘違い」、いまも引きずる幹部クラス

と、バブル時代にキャリアを積み重ねた私が、大上段に見栄を張ってみたが、かくいう私も腹の中では強欲だ。お金が入れば嬉しいし、出世できれば「やったぁ」と喜ぶ人間である。

20代のころは給与が毎年10%上がるのを当然のように受け止めていた。課長になれば机が少し大きくなり椅子にはひじ掛けができ、部長にでもなれば個室があてがわれ、六本木で三次会をするぐらいの接待費を持てるものだと思い込んでいた。

正直そこに憧れをもつタイプではなかったが、いまから思えば、普通に会社に行き一所懸命働けば、みな同じように明るい未来が待っていると盲信できた。日本の古き良き時代だ。でもその時代に拘泥した人たちの中には、ビジネスや人生のことを少々、勘違いしてしまった人もいたのではないか。

●役員を外れた後、自腹で運転手と契約し直す潔さ

私が見聞きして一番残念だったのは、かつて本体の役員だった方が子会社に出向となり、車などの手当てを取り上げられたときの話だ。プロパー社員がみな一所懸命に働いている中、本体からの落下傘社長が「車がない」と文句を言い、手当が済んだ後は「車にテレビがついてない」、さらには「部屋が狭い」とリクエストが尽きなかったという。

失われた時代を歩んでいる中で、そんな贅沢がどうして言えるのか。彼は、「郷に入れば郷に従え」ということも理解できないほどにバブルの悪しき慣習に心を奪われていた。

しかし、彼の気持ちも少しばかりは理解できる。黒塗りの車での通勤は、サラリーマンなら誰もが一度は憧れる。強欲な私には、だからこそ危険な匂いがしたのだ。

きっと、一度手に入れたら絶対に手放したくなくなるだろう。自分の人生一度きり、短い期間の幸運と割り切れても、家族はどうだろうか。ご近所で毎朝車の出迎えの様子を見ると、いまだに「豪勢だなぁ」と思う一方で、「いつかは出迎えも無くなるだろうに、その時は大丈夫なのか」と余計なお節介を焼きたくなってしまう。家族がその姿に慣れてしまうと、いまさら歩いて家を出られなくなりはしないか。

一方で、私の知り合いで、役員を降りてからも自費でその運転手さんと契約した人がいたが、自分のカネで生き方を貫く姿は、潔いとも思った。

●社長だけど社員に隠れてエコノミークラスに

私にも、外資社長を務めた一時期に少しだけ羽振りの良い時代があった。それでも社有車の出迎えを一度も利用しなかったのは、自分の欲の深さが怖かったからだ。

毎朝変わらず、遠い駅まで自転車で出かけ、たまに贅沢をしてタクシーに乗るぐらいに抑えておけば、車を取り上げられたときに落ち込むこともあるまい。もし社有車に出迎えしてもらうなら、胸を張れる正しい稼ぎ方をして、退職してからも自分で契約できるぐらいの立場になってからだと思った。

私が外資社長に就いたのは、リーマンショックが起きて2カ月後だった。社員たちが皆、腕利きで、いまから思っても面白い商品を作っていた。強い営業力で販売したおかげで、世界全体の逆境下に目覚ましい業績をあげた。

しかし、残念なことに投資家にとって儲かる商品ばかりではなかった。一時的に元本割れする事態が数多く発生し、迷惑をかけたお客さまも出た。

当時の私は立場的には、フライトはビジネスクラスが許されていた。同クラスはキャビンアテンダントが親切で機上でのサービスは極めて快適であることを知っていた。新幹線のグリーン席も同様だ。しかし喜んでいる顧客が少ない中で、特権をフルに使ってよいものか。お客様が儲かるか、世の中にないような新技術を創造して社会に貢献するか。成果が出るまで、エコノミーにしようと決めた。

部下には「社長がエコノミーでは、夢がない」と言われたので、秘書に命じて隠れてエコノミーに乗っていた。単に自分が社長のポジションにいるからではなく、社長として胸をはることのできるビジネス貢献をしているかが必須要件であると信じていたからだ。

●一皿数百円の料理をつつきながら数百億円の商談

こうした気持ちは個々人によって違いがあるかもしれない。しかし、福利厚生に甘えない生き方をすることで、ビジネスに向かう気持ちはより強くなる。知恵をはるかに絞ろうとするからだ。それがビジネススキルにとって、非常に有益なものになることだってある。

たとえば交際費。みんな値段の高い店で接待をしようとする。外資はそういうものだと相手も思っている。だからこそ、カネだけ使って知恵のない接待はあまり面白がられないし、気持ちが通じ合わない。会社のカネで行きつけの高級店を予約しただけだろうなんて、勘繰りを入れられるのがオチだ。

超大手機関投資家の大物役員を、煙モクモクの人気ホルモン焼きやで接待したことがあった。店内に入ったとたんにゴミ袋を渡される。お客様はいったい何ごとかと思ったようだが、行きつけには常識の、スーツににおいがつきすぎるので中にいれて封をしろということなのだ。個室ではないが、周りは若者が多くにぎやかで、我々が秘密の話をしても聞こえない。そもそも盗み聞きなどする気もない連中ばかり。数百円の皿をつつきながら、数百億円の投資の話をする。そんなアンマッチングを喜んでくれる人だと確信があった。結果は大うけして、意気投合した。嬉しかった。知恵を絞って最大の効果をあげる。これこそが私の喜びだった。

しかし、考えても見れば、プライベートではみなやっていることではないか。家計のやりくりに長けた主婦・主夫の並々ならぬ努力と知恵の絞り方に、いま一度、思いを致すことが重要だろう。

●自分はその処遇に相応しいのか

いま世の中では合言葉のように「自分の市場価値を高めよ!」と言われている。しかし、その傍らで、与えられた福利厚生を何の疑問もなく、枠いっぱいに使おうとする幹部たちの姿を見ると、彼らの市場価値を疑いたくなってしまう。

たかが福利厚生、されど福利厚生。一事が万事なのだ。自分がその処遇に相応しいのかを決めるべきは自分なのだ。自身の市場価値を考えるスタート点は、実はこんな身近なところの経済観念にあったりするのだ。

随分昔、「お前も多少偉くなったのに自転車通勤か」と人の良い部長に軽く笑われた。いまの時代には誰もそんなことを言わないだろう。むしろ「健康的だな」と褒められる。時代は確実に変わっている。

コロナ禍のいまこそ、根底で起きている“自分らしく生きる”という変化の潮流は大好きだし、大事にしたい。

自分へのご褒美は自分で決めよう。私はいまこんな思いでいる。

かつては、カネはあればあるほどよいと思っていたが、どうやらカネをたくさん稼いでいる人が必ずしも幸せになっていないことに気づいてしまったのだ。また、一時的に稼いでも、永遠には続かない人が多いものだ。人生経験を積んできて、宝くじで当たった人の破産ストーリーがいまはとてもよくわかるようになった。

もちろん、明日の心配が減るぐらいには必死でがんばりたい。いまはしっかり粘って、世の中が好転してからは、自分にも許される最高クラスの贅沢を享受したいとも思う。そんな日を楽しみに、今日もまた重い荷物を背負って通勤“自転車”をこいでいる。