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JB Pressに掲載されました テレワークとオンライン会議、こうすればもっと創造的に(前編)

折角のテレワークとDXの動き、潰すのはこんな上司
テレワークとオンライン会議、こうすればもっと創造的に(前編)
2020.6.15(月)
岡村 進

オンラインでは人の感情が伝わらない、在宅勤務では仕事の質を維持できない・・・とできない理由ばかりが先行し、長らく日本では働き方を効率化するためのシステム化投資が停滞してきた。

コロナショックにより多くの企業で強制的に在宅勤務が導入された結果、好むと好まざるとにかかわらず、今後デジタライゼーションによる働き方改革が注目されていくことだろう。

いままでブレーキ役が多かった年配の会社経営陣や有識者がオンラインによる会議等を経験し、「テレワークはやればできる!」と自信を持ったのは大きい。実際ここ2~3カ月、リアルにお目にかかるのでなければ無礼になってしまうようなエグゼクティブと、オンラインによる個別面会や勉強会を行うことができた。もともと仕事ができる方々だから、如才なくシステムを使いこなす様子を拝見し、必要は発明の母とはよくいったものだと感じた。

●テレワークの明暗

一方で、この流れが定着するかどうかは予断を許さない。外圧による変化は常に迷走しがちだ。既にあちこちで後戻りが危惧される会話を耳にする。

あるメーカーの営業担当と話していたら、上司から「毎日暇だろう」といわれてめちゃくちゃテンションがさがっていると愚痴をこぼされた。「確かに顧客訪問はできないものの、こういう時期だからこそ利益を度外視して社会に貢献できることがないか考えていたところなのに・・・」との思いを聞いて感激した。この理念回帰の姿勢が、長期的にビジネスに繋がっていくと経験則上知っているだけに、在宅=さぼりと決めつけてしまう上司の発想の乏しさを残念に感じた。

物流会社の内勤社員は、「パソコンの支給をずっと待っているが、なかなか順番が回ってこない。やる気はあるのに、在宅で仕事らしいことができない日々に不安がいっぱい」と本音を吐露してくれた。在宅勤務でコロナリスクを避ける安心感と引き換えに、職を失う恐怖心を高めているのは世代を超えて共通している。

こんな理不尽な状況にあって会社から、「緊急宣言も緩和されたし、とにかくオフィスにきて話さないか」といわれたら、思わずほっとして、せっかく進み始めたテレワークも元に戻ってしまうのではないか。

そもそも日本はシステム化後進国に成り下がっており、“意味のある”テレワークの実現のために踏むべきステップが多いのも不安の材料だ。

全社員にパソコン貸与するには金がかかる。しかも数年に一度入れ替えすることまで考えたら経済的に投資可能な企業がどれだけあるか。

仮にハードは整えたとしても、在宅で業務の質を維持するためには社内ネットワークへのアクセスを構築しなければならない。当然セキュリティの確立が急務となるが、社内に専門家を擁する企業はどれだけあるか?

社内外問わず専門的助言を仰げたとしても、その本質を理解し、割り切りの判断をできるほど経営陣がITリテラシーを有しているか大いに疑問がある。

大企業であれば、巨大データの移動を可能とする回線の容量確保も必要だ。

それでもこうした技術的課題はいつかクリアーできるであろう。

私が日本企業に最も難題と考えるのは、在宅勤務者を適切に評価する人事基準の構築だ。器作って魂入れず。日本が過去繰り返してきたたちの悪い失敗のパターンだ。この一連の課題をクリアーできた企業だけがDX(デジタルトランスフォーメーション)による実を伴った働き方変革を実現できるのだ。

●年配者が陥る4つの理解不足

DXにまつわる苦い思い出がある。

外資社長の時代に、世界的に顧客向けデータ管理システムをアップグレードするプロジェクトがあった。日本のお客様が、最後の最後まで、従来の業務慣行を所与としたデータ管理を主張され、最終的に日本だけ独自のシステムを残したことがある。当然新グローバル・システムのメリットを享受できないし、個別管理のコストも上乗せになる。世界では必要としないようなデータをなぜ日本では放棄できないのか? 業務慣行にあわせてシステムを作るのではなく、システム化の目的に鑑み、適宜業務慣行自体を見直していく発想の転換を真剣に議論してほしいと思ったものだ。さもないと、システム投資の形は整えてみたものの、仕事は楽にならず、コストも削減できないという典型的な失敗を犯すことになる。

なぜ多くの日本企業で、社員の仕事を楽にし、コストも削減する本来のDXが実現できずにきたのだろうか? 理由は明白で、口ではデジタライゼーションが不可欠と言っているエグゼクティブの次の4つの理解不足に起因しているように思う。

1.システムの本質につき理解(する意欲)が乏しい

「システムは大事だ!」といいながらシステム部門による説明が少しでも専門的になると拒絶する。本質は難しくない。能力ではなく、学ぶ意欲の欠如を感じる。

2.システム化によって成し遂げたい目的が曖昧である

「AIを使ってとにかく何かをしてみて! IRで使うから!」という手段と目的の取り違えが実際に起きている。

3.世界の潮流を見定め切れていない

メインフレームやクラウドの差異については、さすがに理解を深めているものの、新技術が実現しようとする世界観を持っていない。

4.システム化に限らず大きな変革に皆が重い腰を上げたくなるような夢を語れない

システム化は一時的に社員の仕事を増やす。DXが顧客のみならず社員をいかに幸せにするか夢や理念を語るのをあまり耳にしたことがない。

年配者がシステム投資への理解を深めつつあるのは素晴らしいことだ。ただし、「システム・ハイ」(注:筆者の造語)となっている年配者ほど自戒が必要な局面でもある。例えば会議である。

若手に話を聞くと、「オンライン会議だけでも十分」という人が少なくないが、上司の皆さんは、部下にこう言われたらどう応えるか?

「いやぁなんていうのかな。ほら、実際に会って話をした方が、何か思いが通じやすいだろう・・」などと曖昧な説明をしていたら上司失格だ。横で聞いていて私が思うのは、オンライン会議でもまったく支障がないほど、リアルな会議がつまらないのだろうと推測する。

●必要なのは緊張感を持った対峙

リアルとオンラインの会議の違いは何か?

私は暫定的にではあるが、「リアルは感動を呼び想定外の成果を生み出す。オンラインは効率よく予定調和を実現する」と説明している。

リアルの例でいえば、コンサートでシンガーが毎回歌う曲は同じなのに、なぜその時々で出来栄えが異なるのか。感動の回が生まれるのか。熱狂する聴衆に触発されて普段以上に伸びやかな声がでることがある。それがまた聴衆を刺激し、高まった応援の感情が、さらにシンガーを奮いたたせ、声にはりを持たせるのだ。感動の連鎖を体験したものだけが、“一流の仕事”の価値を理解し、実現できるのだと考える。

実は自分が研修に取り組む都度、コンサートを思い出す。生徒が突然に発する想定外の鋭い質問が、その場の緊張感を高め、話し手である自分の心までゆさぶるのだ。皆の前で、できれば恥をかきたくないから、脳みそをフル回転させて、時に“自分でも思いがけない”答えを生み出すことがある。例えばうちのビジネス予備校では、「答えは一つではない」を腹に落とし、自ら「考え抜く」ことをとても大切にしている。

しかし答えが一つではないなら、考えても仕方ないではないか、といった生徒がいる。そのやりとりから、「考え抜く=自分の答えを出す」という定義づけが生まれた。時間をかけて考えるから答えが出てくるのではなく、互いに緊張感をもった人財の真剣な対峙からこそシャープな考えが生まれてくるものなのだ。

私はよく生徒の皆さんに、会社の週例会議を惰性でやらないようにと激励している。「部下たちが、毎回一度ははっとして顔を上げるような感動を生み出す発言を自らに課してほしい!」とお願いしている。リアルで感動を生み出す意識を持った人財はオンラインでもそれに近い成果を引き出せる。

今度こそ日本企業が、「DXを通じて何を実現したいのか?」、一番大事な原点である“目的”明確化の議論から始め、腰の座った改革を断行するよう切に願っている。