インフォメーション

JB Pressに掲載されました。 ゲイツが予測していた感染症危機、無対策だった世界

ゲイツが予測していた感染症危機、無対策だった世界
コロナ後はリーマン以上の危機、「自分第一」では乗り切れない
2020.5.11(月)
岡村 進
ーー

私はこれまでのビジネス人生の中で、世界的な経済危機、金融危機というのは何度も経験してきた。そのたびに、世界の“変化”と、日本の“不変化”を感じて来た。

日本に対する不変化という評価にひっかかりを持つ方がいても不思議ではない。例えば女性登用など年々明らかに進化している。しかし世界女性活躍度ランキングともいわれるジェンダー・ギャップ指数では120位台、しかも年々順位を落としている実情をご存知だろうか。変化は相対的なものだ。

コロナショックを目の当たりにして以来、頭の中にたびたび思い浮かぶのは、ビル・ゲイツのある演説だ。

●ビル・ゲイツの千里眼

2015年、アメリカの非営利団体が運営するTEDカンファレンスに登壇したビルの演説は、いまもYouTubeで確認することができる。彼はこう演説した。


「子どものころ、私たちが一番恐れていた災害といえば、核戦争でした」

「しかしいま、1000万人以上の人々が、次の数十年で亡くなるような災害があるとすれば、それは戦争と言うよりは、むしろ感染性の高いウイルスの可能性がある。ミサイルではなく、微生物です」

「その理由の一つは、これまで私たちは核の抑制に巨額の費用をつぎ込みましたが、疫病の抑制システムの創出については、ほとんど何もやっていないからです。私たちは次の疫病の蔓延への準備ができていないのです」

このビルの演説から5年。彼の“予言”通りに、世界は新型コロナウイルスの猛威に晒されている。ビルの慧眼に、巨大企業マイクロソフトを一代で創設した経営者の実力の深淵を垣間見る思いがする。

●コロナショックはリーマンショックを上回る
 
私は08年から欧州系運用会社のUBSアセット・マネジメントの社長を務めた。つまり企業のトップとして、あのリーマンショックを経験したわけだ。

当時もビジネスの現場は今と変わらぬ「危機感」に溢れていた。しかし、その後、世界はリーマンショックの“清算”をしっかり済ませず、これまで過ごしてきた。

リーマンショック当時、世界は失業者に溢れ、貧富の差が明確となった。日本でも派遣切りが始まり、アメリカの雇用は2200万人が失われたとされる。危機感の強さから世界的な過剰流動性の供給が始まり、世界経済の底はどうにか抜けずに済んだ。そのために、各国の中央銀行が総資産を数倍に膨らませたことはご承知の通りだ。本来なら、緊急事態を脱したここ数年は、銀行が総資産を減らし、市場から流動性を引き上げる努力をなすべき局面であったが、その清算はなされなかった。

ポピュリズムが台頭するなか、相場を善政の象徴として紐付けてしまった各国首脳は、金融引き締めという勇気ある決断を出来ずに来てしまったのだ。ひいてはまたぞろミニバブルの生成を許してしまった。


そこに今回のコロナショックだ。

今回のコロナショックでは、前回危機を上回る2600万人がすでに失業したとされ、深刻さはより一層増している。急場をしのぐためにさらなる流動性供給はやむをえないだろう。しかし、新たなる流動性を供給する様は、あたかも子ども銀行が紙幣を発行する姿に近づきつつある。

今後のためにいまも肝に銘じるべきは、過去の清算をすませてこなかった不作為の反省だろう。今回の危機をもし幸運で乗り切れたとしても、もう限界だ。いつか誰かが自国の紙幣を信じられないと声をあげた途端に、自国紙幣を受け取らないドミノ倒しが起きるだろう。まさに80年代南米累積債務危機で起きたことだ。

つまり真に恐ろしいのは、アフターコロナの舵取りだ。ショック緩和のためにもう一段の流動性供給がなされ、そしてどこかのタイミングで風船が破裂するように、急激な金融収縮が世界中で起きることだ。もし発生してしまったら、危機の規模は、リーマンショックの比ではないだろう。

●世界協調の鍵を握る米国の葛藤
 
未曽有の危機を前に、一致団結すべき世界政治の状況はと言えば、かなり悲観的なものだ。リーマンショック時、世界の国家元首は協調して、未曽有の金融危機に対峙した。ところが今、最も感染症対策で協調姿勢をとるべきところが、目につくのはWHO批判などに象徴される不協和音ばかりだ。

コロナ感染症との戦いは、目先の都市封鎖、国境閉鎖等の分断を助長しやすい。しかし、どうにか感染爆発を抑えたのちは、経済ショックをいち早く回復に導くうえで世界協調体制が不可欠である。過去の清算に追われ、ポピュリズムにあえぐ元首が、自国ファーストを脱して世界協調に踏み出せるか、現実の世界は分断と協調のはざまで、激しく揺れ動いていくだろう。

「アメリカ・ファースト」を掲げるトランプ政権は、“世界協調”にこれまで暗い影を落としてきた。今年開かれる大統領選挙では、バイデン候補が民主党の候補になる。トランプと激突するわけだが、その行方次第で世界の協調体制の命運も大きく変わる。


そもそもアメリカの強さは、多様性にある。GAFAなど世界のメガテック企業を生み出したアメリカは、多様な人種、多様な文化の融合から次々と生まれるイノベーションを国家の原動力としてきた。

筆者も金融の世界に身を置く中で、そんなアメリカ経済の変化対応の速さと力強さを目の当たりにしてきた。危機を迎えるたびに、力強く経済を発展させた。それはフォードなどの自動車産業やGEなどの電機産業、そしてGAFAを象徴するメガテック企業にまで連綿と受け継がれているアメリカの強さの象徴だ。進取の気持ちの強い移民が社会を刺激し、絶えずイノベーションを生み出してきた。

一方でその進化は、トランプの保護貿易を進めさせることにも加担することにもなった。シェールオイルというエネルギーを手に入れ、石油を自国で自給できるようになったアメリカは、2.5億人の豊富なマーケットと広大な国土をよりどころに、自国内だけで経済を回す力を持った。当面は、「自国回帰主義が得になる」との判断が、政治的には働きやすい。

真のグロバール化への回帰か、自国主義の台頭か。その趨勢を決定づけるのが、まさに11月の大統領選になる。

アメリカの力の源泉を目の当たりにしてきた筆者は、多様性を受け入れ続け、数々の衝突を克服しながら、力を高めてきたアメリカには自浄作用が備わっている、との期待を持っている。特に冒頭で紹介したビル・ゲイツの千里眼を考えれば、彼らの知性と理性に、期待を寄せたい。

●有事に強い日本が平時の仕組みを作るなら“今”

翻って日本はどうか?

実は日本は有事に強い。大企業の内部留保は700兆円ある。リスクをとらず、内部留保をためこむ経営は、身をかがめて危機を乗り切る助けとなるとなるはずだ。

また、度を超えた贅沢を好まない国民性は、危機の時にも文句を言わず、我慢強く事態の改善に取り組み続けるだろう。数字遊びかもしれないが、個人資産だけみても1800兆円を超えているので、国の借金1000兆円を差し引いても、残りは800兆円。個人一人当たりの資産に勘案すると700万円のプラスである。全体に我慢比べに強い国民性も誇りに思う。

しかし、筆者はそんな打たれ強い日本だからこそ、その行く末への期待と不安が錯綜している。

ここ30年、静かに、しかし確実に世界における存在感を低下させてきた日本には、危機に対応する力で、起死回生のチャンスをつかみ取ってほしい。そのカギは有事には行える驚くべき変革を平時にも続ける仕組み作りだ。まさに有事のいまが不可逆の仕組みを作りこむチャンスなのだ。

●進む「働き方改革」
 
そして有事の現在、急速に進んでいるのが「働き方改革」だ。

私の回りの人財は、在宅勤務者と、それとはお構いなくオフィスで働き続けなければならない方々とに二分されている。

前者でも家でばりばり働いている人と、インフラが整わず実質的には休暇に近い形になって密かに罪悪感に苛まれている人にわかれるように思う。ただ、共通しているのは、「なぜあんなに激しい混雑の中で長時間かけて通勤していたのだろう」という疑問ではないか。コロナ感染が収束しても「週のうち1~2日は在宅勤務でもよいのではないか?」との思いが高まっている。さらには「あくせく働くことを今後も続けて幸せになれるのか?」とも。一度持った疑問は消えないのではないか。

同時に役員の方々と話しているとこれまた二分されるから面白い。

役員会もビデオ会議で行われるので慣れたという方、どうも慣れないので参加しないか、出ても黙り込んでいるという方。どちらにも共通しているのは、毎晩のディナーとゴルフのなくなった今、日ごろの働き方に密かに疑念が生じ始めているという事実。「もっと効率の良い働き方、働かせ方があるのではないか?」との考えは不可逆のように感じられる。

のど元過ぎれば熱さを忘れるのが人間である。この働き方改革の動きが定着するか否かはひとえにデジタライゼーションにかかっていると考える。各企業が、過去の因習を破棄し、いまどうにかリモートで行っている仕事の回しを、平時にも組み込むマニュアル化を期待したい。正直リアルなコミュニケーションに劣る点はいくらでも列挙できる。しかし大方が慣れてくれば、リアルとオンラインの適度なバランスが生まれ、補完的な関係が定着していくことだろう。

政府の後押しも不可欠だ。大企業ですら今回の危機で内部留保を吐き出すことになるであろう。ましてや、経済的余裕や人的スキルの少ない中堅企業にシステム化のコストを負担するのは難しい。一企業を超えた協力体制や、政治の支援の如何がアフターコロナの日本の立ち位置を決するといっても過言ではないだろう。

●リーマンショックの教訓

一番大切な人の命と健康を考えれば、デジタライゼーションは待ったなしだ。そして新しい働き方は、個々人の仕事や人生と向き合う意識の変革を促し、日本の将来を大きく変える転換点になることだろう。

一方で、「しかし」という思いもある。

今回のコロナ危機を欧州のリーダーは「戦争である」と表現する。その激烈なインパクトと多くの犠牲者の無念を目の当りにし、われわれはこの平和な時代に、生死について考えさせられている。その学びが最終的にデジタライゼーションにとどまるのであれば、少し事態を矮小化しすぎているのではないかとの自責の念も生じる。日々を乗り切ることで精いっぱいのなか、時期尚早との揶揄を覚悟の上で、でもアフターコロナに訪れるかも知れないもっと大きな経済危機に身構える今だからこそ、あえて記しておきたい思いがある。

私は、いま、誇り高き零細教育機関の社長として、日々生徒や社員のために頭をフル回転させている。一瞬たりとも緊張はほどけない。正直理念を曲げて目先の利益に飛びつきたくなる誘惑もある。

そんな時に立ち戻るのは、「何のために起業し、何のために経営者を名乗ってきたか」という原点だ。最後に心の支えになるのは「人の役に立っている」との大義に尽きる。会社のみならず、個人としても、大義なき“痛勤”や激務は続けられないというのが実感だ。それがリーマンショックを反面教師として学んだことだ。

危機に直面し葛藤している若手経営者には、少しだけ場数の多い同志として、苦しい時期だからこそ、守るべき大義、守るべき人を大切にしようと励まし合いたい。

創業の理念やそれにかけた自身の夢を思い出す。軸がぶれなければ、いまなすべきことも、捨てるべきこともおのずと明らかになってくるものだ。個人も、企業も、国も、それぞれの心の底に生じている変化を直視し、真摯に向き合ったものだけが残っていけるのではないか。

今回の危機で日本人がいよいよ構造変革を起こすべく働くカギはいまこの瞬間の選択にあると信じている。