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JB Pressに掲載されました 日本は「問題先送り、だらだら衰退」を脱せないのか

日本は「問題先送り、だらだら衰退」を脱せないのか
本音ぶつけ合わない日本人気質が組織のダイナミズムを奪っている
2021.2.17(水)
岡村 進

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コロナの緊急事態宣言下、日々思うことがある。なぜここまで対策が後手に回るのか。

日本の病床数は世界一だが、医療はひっ迫している。ファクターXの存在が指摘されるアジアでも、死者数は中国、台湾、韓国よりも日本は多くなっている。

そもそも、少子高齢化や人口減少問題も、待機児童問題もずっと前から分かっていたのに、対応は後回しにされた・・・。

こんな話をしていたら、とある日本企業の役員に「日本の見方が暗すぎるよ~」とたしなめられたことがある。曰く「もっと明るい話をして社員を励まさなきゃ!」と。

果たしてそうなのか。

●アメリカの凋落、日本の沈没

トランプ大統領が史上初の二度目の弾劾裁判は無罪と評決された。しかし、米国の国会議事堂襲撃を見て、我々は何に思いをいたすべきなのか。いま、色々な方に尋ねるようにしている。

たいていの場合、アメリカの終わりの始まりであるとか、中国が力を持ってくるだろうとか・・・そんな答えが返ってくる。どこか他人事のように聞こえるのは私だけではないだろう。私の答えは「貧すれば鈍す」である。このままいけばアメリカの凋落を受けて、日本は10年後にはさらに没落していくだろう。

昨年、世界的相場師のジム・ロジャーズの著書『お金の流れで読む 日本と世界の未来』(PHP新書)を読んだ。2050年の日本は貧しく犯罪大国になっているだろうとジムは指摘する。否定のしようのない内容で、普段、自分が危惧してきたことだが、海外からこう言われると正直カチンとくるから不思議だ。

しかし、データは正直である。

この30年の間に日本は静かに地盤沈下していった。

1990年に世界9位だった一人当たりGDPは、2000年に世界2位まで上昇したものの、現在は20数位になっている。生産性は残念ながら相対的に低下しているのだ。またバブル期には、株式時価総額ランキングTOP50に日本企業が30数社ランクインしていたが、現在はトヨタ1社。株価がある程度将来の成長を織り込むと信じれば、日本企業の将来性に対する市場の評価はかなり低いことになる。

1990年の出生数は122万人だったが、直近では86万人と30数万人減少した。もはや定住外国人の増加で補える減り方ではないと専門家は言う。

いまの若手が年金をもらい始める40年後、日本の人口は今の3分の2の8000数百万人になると見込まれている。人口減少が高齢化とセットで訪れることは、誰もが知っていることだ。

しかし、抜本的な少子化や移民政策はとられず、問題は先送りされ続けてきた。

それでも政府や経営者は「社員に明るい未来」を見せようとする。その実、やっていることは、紙幣を擦りまくって株価や不動産を上昇させたり、小手先の対応に終始したり。どんよりと暗い空を見上げて、「明るくなろうよ」などと言われても、むしろ警戒感は増すばかりだろう。それよりも、傘のさし方や、日のさす雲の切れ間を探す方策をともに考えたほうが、はるかに希望が持てるはずだ。

●「能力高い日本人、でも組織力低い日本企業」の不思議

「まずは現実を直視しよう!」と私が言えるのは、日本人の、方向性さえ定まれば必ず乗り越える能力と可能性を信じているからだ。実際にグローバル企業で働いてみて、日本人の仕事力が劣ると感じたことは一度もなかった。論理的かつ勤勉。困難な時期にあきらめずに努力し、成果に結びつける力はピカイチだった。

こう言うと、「外資は元々そんな人が集まるんでしょ?」と言う人がいるけれど、それは違う。

私が10年ほど前、グローバル企業で経営を任されていた当時、傘下にいたのは元々いた企業が倒産し放り出された人が少なくなかった。想定外で新しい環境にぶち込まれた彼らは当初こそ困惑していたが、すぐに適応していった。生きるための適応能力は日本人は高いのである。

そもそも日本企業の社員は、社内で異動ばかりしているではないか。これはグローバル企業で言えば転職に等しい環境変化なのに、半年もたてば皆それなりの顔になり、一年もすれば後輩を指導したりする。世界的に見ても驚異的なレベルの適応力だ。

もちろん生涯、一プレイヤーもいる。偉くなるのを求めない代わりに、自分の担当領域では存在感を出せるよう腕を磨く。要するに、みんな現実を直視し、それぞれに自分のサバイバルプランを作り上げているのだ。

それなのに・・・である。組織となればそれがワークしない。日本国全体としても、ダラダラと問題が先送りされるのが、日本の特徴なのである。

その要因はただ一つ。事実に基づいて、その適切な対策を考えられないことにある。

まずは事実に基づいて話をしようよ。誰でも大事な人には、本音で向き合っているじゃないか。

●「改善策が伴わない反省はするな!」

外資の部長時代、部下から厳しく文句を言われたことがあった。完全に自信を喪失し、アジアの地域ヘッドに「ここまで言われたことはないんだけれど・・・」と愚痴をこぼした。すると普段は優しい彼が「日本企業時代も下はそう思っていたはずだ。口に出さなかっただけではないのか?」と言われて、目から鱗が落ちる思いがした。

「改善策を伴わない反省はするな、もっと自分に自信を持て!」と言われたのもこのころだ。

中身のない励ましよりも、現実に即した批判ほど生存のために大切なものはない。生き残りをかけて、事実に向き合う必要に駆られ、私は実績を残して自信を回復させていった。本当の明るさとは、現実への直視から始まるものなのだ。

さて米国の覇権時代は終わったのだろうか。私はそうは思わない。常に社会の歪みをあからさまにし、問題があると宣言した上で改善努力していくのが米国だからだ。

はじめて米国企業に勤務した90年前後、私は、社会進出を果たした女性の管理職が、駅のホームでタバコの煙を大きく吐き出したり、研修室で机に脚を載せたりする光景を目にして、気持ちが苦しくなったのを覚えている。男性と同じ方法で男社会と闘おうとする必死さを感じとってしまったのだ。30年経ったいま、米国の女性たちは、はるかに自然体で活躍しエグゼクティブになっている。

なぜならこの30年間、米国は、女性や非白人に対する差別を明るみに出し、改善策を議論していたのだ。アファーマティブアクション(是正的措置)と呼ばれるこの行動が、米国の社会を常に改善努力へと駆り立ててきた。トランプの登場やコロナ禍で鮮明になった新たな社会の分断はかなり根が深いが、それでも米国は現実を直視した行動でいつか乗り越えていくだろう。

日本も衰退を脱し進化のプロセスをたどれるようになるのは、現実を直視し改善策を伴った反省ができるようになったときだろう。建前と気配りの呪縛が日本を滅ぼす。そうはならぬよう、互いの可能性を信じて本音をぶつけ合える人生を楽しみたいと心から願う。私たち一人ひとりの底力は自分で思うよりはるかに大きいのだ。