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JB Pressに掲載されました リーダーはコロナ後ではなく20年後に想い馳せよ

リーダーはコロナ後ではなく20年後に想い馳せよ
アフターコロナは予測するものではなく、作るもの
2020.6.1(月)
岡村 進
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テレワークという言葉が社会に浸透し始めてはや2カ月である。

経済同友会の元代表幹事で、三菱マテリアル会長の小林喜光氏は、4月の緊急事態宣言発令から1カ月は、会社に寄り付かなくなったという。会議はすべて自宅からのリモート参加。聞くだけでよい会議はスマホを持って、公園を散歩しながら参加していたという。今後はこんな風景が日本でも広がっていくのだろう。

しかしよくよく考えてみれば、アメリカでは以前から当たり前の光景だ。20年ほど前に仕事で米国の超大手食品メーカーを訪問したときのことを鮮明に覚えている。そもそも本社が大都市から遠い郊外の何万坪もある敷地にそびえているのに度肝を抜かれた。広大な庭には彫刻なども置かれ一般市民にも開放されていた。いまでも緑の青さを忘れない。「どれだけ素晴らしい環境で働いているんだ!」とうらやましくも思った。実際に商談が始まると世界の拠点が画面で繋がれ激論が始まるのだが、自宅から急遽参加したメンバーもいたと記憶している。場所に縛られない働き方の事例は枚挙にいとまがない。

コロナショックに直面してから、「やれ、変革だ」「働き方改革だ」と議論が広がっているが、海外では平時にも既にその仕組みが組み込まれているのが一般的だ。危機に迫られて重い腰を上げる日本の姿は、ちょっと心もとない。

●降って湧いた「9月入学論」は本末転倒

私は、もともと生き馬の目を抜くグローバルビジネスの修羅場で、何度もノックダウンされては立ち上がってきたから、今はもう危機を前にひるまなくなった。しかし、その強さは、行き当たりばったりの豪放さや大胆さとは全く異なるものだ。危機時こそ、日常的に真摯に仕事と向き合った成果が顕在化すると確信している。晴天でも雨の心配をする、即ち好調な時こそ気を引き締め、万が一のリスクにも備えるのが経営だ。まさに日頃の細心さが危機時の大胆な決断を支えるのだ。

そうやって自分の小さな器をフルに使って必死に経営に取り組んできたから、コロナ禍の下、日ごろの備えも不十分なままに、変革“もどき”の案件が俎上にのせられることに、とても納得がいかない。

直近の事例では、大学の入学時期を9月に変更する議論だ。国民の多くからしてみれば、突然降ってわいた話。しかも直接影響を受けるのは、一日一日を大切に学問に励む高校生たちだ。

私は、3度の海外生活と頻繁な世界への出張、海外の大学院での学び、グローバル企業での外国人同僚との協働等を通じ、すっかり海外慣れしてしまっているから、9月入学変更自体に強烈なる違和感はない。ただ看過できないのは、日頃の議論の積み上げや戦略を軽視する拙速な意思決定の姿勢やプロセスなのだ。推進派がグローバルスタンダートなどという曖昧な看板を掲げ、周りに守旧派のレッテルをはりつけることで、健全なる反論や意見交換すら封じ込める風潮にとてつもないリスクを感じるのだ。

こんな時、改革派を名乗る政治家ほど、こんなことを言ったりする。

「日本はこういう危機時や外圧がないと変われないから・・・」

それをあなたがいったらおしめえよと、寅さん張りに嘆きたくなる。

●アベノミクス「第三の矢」を覚えているか

もっと王道の議論を行い、日本人としての軸を決めてから物事を変えたいではないか。

そもそもグローバルスタンダードを標榜する皆さんが、いったいグローバルビジネスの現場で活躍する人財の要件をいかに考えているのか、是非定義を聞いてみたいものだ。作りたい人財イメージに関して広く国民を巻き込んだ「徹底的な議論」なくして、教育改革は成り立たないはずだ。

余談だが、私たちが運営する人財育成機関では、日本で活躍するアジア人を毎年特待生として受けいれている。あるときアジアの新興国の若者から、真剣なまなざしで聞かれたことがある。「先生! 沈みゆく国で学ぶことに意味があるのでしょうか?」と。皆さんならこの質問にどう答えただろうか?
みな勝ち馬に乗りたいのだ。下品な発想に聞こえるかもしれないが、自身の腕を頼りに生きるグローバル人財は、それだけ日々真剣なのだ。

かような緊張感の高い若者をも惹きつける大学教育とは何なのだろか?

私も30年サラリーマンをやってきたからきれいごとだけをいう気は毛頭ない。

時には形から入る改革が効果的な時もあるだろう。しかし、すべてが程度問題なのだ。

2013年アベノミクスが誕生したときのやりとりを思い出す。

資金をじゃぶじゃぶ市場に供給する政策の意図を腹に落とすために、改革支援派の識者に「余剰資金供給の結果、いったいどんな産業、どんな企業が伸びて行くと思うか?」と質問したのだ。

「そんなことは考えてなくてよい。伸びるべき産業や企業がおのずと伸びていくのだ」

こんな答えを貰った記憶がある。

形を壊せば予定調和的に良い世界ができる・・・それがアベノミクスの原点であると個人的に認識している。

改革が始まった時に、お目にかかった経営者の何名かは、「後戻りできない毒まんじゅうを食らったのだ」、「改革は後戻りできない」と覚悟を語ってくれた。いまもその覚悟を持続している方が何名いるだろうか?

ビジネスの成否は目的意識の強さに依存している。

それが、私が世界で経営に関わり、日々葛藤しながら腹に落としてきた信念だ。

だから、次世代を勝ち残るカギとなる市場価値の源は、「燃える目標」にあると、自分としては極めて“論理的”なメッセージを伝え続けているわけだ。

●危機の思考法

私たちは、長らく平和な環境に恵まれてきたが、今回、日常的に生死を意識せざるを得ない状況に陥った。コロナショックからの学びを、従来型のとりあえず形を壊すことから始める変革や、デジタライゼーションなどテクニカルな進化にとどめてしまっては、あまりに危機の衝撃を矮小化しすぎたことになる。

危機時こそ「考え抜く」べき材料の宝庫、真の変革のチャンス・・それが私の経験則だ。

911米国同時多発テロの時には米国法人社長だった。命に勝るビジネスなし。

トップの判断が社員の命すら左右することを目の当りにし、人の上に立つ人間が持つべき覚悟の重みを体感した。同時に、命の安全を確保したのちには、ビジネスの成果が毀損しないよう、とことん粘るのもまたトップの責任であると学んだ。命の危険を感じながらも取り組む価値のある仕事とはいったい何か? 初めて真剣に考えさせられた。自分の仕事には大義がある、そこから誇りや粘り、拘りが生まれてくるのだ。

弊社顧問でありグローバルエグゼクティブのクリストフ・クッチャー氏は、リーマンショックの混乱期に、安易な妥協ではない「第三の答え」を見つけ出すのがマネジメントの仕事とよく語っていた。

日本人の誇りであるトヨタの車作りの発想をご存じか? 重厚さと高い燃費効率など相反する2つの要素の両立をぎりぎりまで追究する。優れたマネジメントには「強い意思」が存在するのだ。そしてそのコミットメントは仕事に従事する各人の燃える目標から生まれるのだ。

●アフターコロナよりも、20年後の仮説から始めよう

最近、「アフターコロナの世界はどうなる?」という観測記事が増えてきた。社内でも議論が増えてきたように見受けられる。人によっては外部機関に調査を依頼することも行っているという。それを聞いて私は小さく首をかしげてしまう。

どんな変化が起きそうかなど、周りの人間や、分野の違う知り合いを集めて2,3日合宿すれは大方アイデアはあつまるものだ。将来予測は、今の行動に変化を伴ってこそ意味を持つ。将来予測をいまの行動に紐つける手がかりを持っているのは、長年仕事に取り組んできたあなたや部下たちだ。議論に徹するプロセスから、それぞれが自分なりに熱くなれる次世代の目標を発見していけるのだ。

私は始終20年後の世界を予測し、仮説をたてている。

日本の国力はだいぶ弱まっていることだろう。だから、生徒のためにも世界とのビジネスネットワークをメンテナンスしている。米国は色々試行錯誤しながらも依然世界をリードする存在であろうが、拝金的資本主義には精神性のスパイスが、かかるのではないか。

だから、来世を真剣に信じるミャンマーにて無料の若手教育を展開しながら、資本主義修正の方向を研究しているのだ。数年たてば一家に一台学習ロボットがいて、子供の勉強を教えるようになるだろう。

しかし、私はロボット教育との付き合いはほどほどにし、あえてニッチ市場となっていくであろう生の人間関係から得られる学びに軸足をおいている。なぜか? 最もシンプルな答えは「それが好きだから! 自分の気持ちを熱くしてくれるから」。かくして環境の予測は単に空想にとどまらず、「今の」行動の紐つけられて初めて意味をもつのだ。

そう考えてくると、「アフターコロナの世界はどう予測するか?」というお題設定に手を加えたくなる。

●やらされるのか、やっちまうのか

予測なんかしてもつまらないので、この際、自分がどんな世界が来てほしいか、目的を明確にしてしまおう。どうせ、みなで話すなら「アフターコロナの世界をいかに作るか?」、強い意思の感じられる設定にしたいものだ。

そもそも在宅勤務が増えるか減るかは予測するものではない。あなたが決めることなのだ。金曜日と月曜日の在宅勤務を勝ち取れば、長い週末は田舎で仕事をする選択も可能になっていくことだろう。

冒頭で紹介したように、海外ではまったく珍しい事ではない。私の友人もやっている。これは企業側の課題だが、そろそろ転居を伴う異動にもYES、NOをいう権利を社員に付与することを一般化して良い時期ではないか。

それこそ就活生がこの権利のあるなしを基準にブラック企業か、ホワイト企業かを選別し始めるのが先か、それとも企業が自ら率先して始めるのが先か。もう時間の問題になってきた。これは外圧に負けて始めるのか、自分で目的を持って始めるのかの違いだ。前者はつまらなく、改革は見せかけに終わり、後者は真の力強い企業を作る礎になるだろう。

そもそも仕事は、それぞれの人生の理想と目的が寄り集まって、形作られていくものなのだ。だから、意思あるとこに道は拓ける。

企業も、社員も、自ら変革を導いて幸せへの近道を作ってほしいと切に願う。